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水俣曼荼羅

上映中~1月27日(木)

©疾走プロダクション

日時

上映中~1月27日(木)

料金

一律¥3,900 ※各種割引適用不可・各種招待券、優待券のご利用不可 ※サービスデー適用外
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スケジュールとチケット SCHEDULE & TICKETS

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詳細 DETAIL

上映後トークショー決定!

1月15日(土)上映後
登壇者:原一男(本作監督)

※敬称略
※登壇者は予告なく急遽変更となる場合がありますのでご了承ください


鬼才から巨匠へ 原一男の最高傑作

『ゆきゆきて、神軍』の原一男が20年もの歳月をかけ作り上げた、
372分の叙事詩『水俣曼荼羅』がついに公開。

原一男が最新作で描いて見せたのは、「あの水俣」だった。「水俣はもう、解決済みだ」そう世間では、思われているかも知れない。でもいまなお和解を拒否して、裁判闘争を継続している人たちがいる―穏やかな湾に臨み、海の幸に恵まれた豊かな漁村だった水俣市は、化学工業会社・チッソの城下町として栄えた。しかしその発展と引きかえに背負った〝死に至る病″はいまなお、この場所に暗い陰を落としている。不自由なからだのまま大人になった胎児性、あるいは小児性の患者さんたち。末梢神経ではなく脳に病因がある、そう証明しようとする大学病院の医師。病をめぐって様々な感情が交錯する。国と県を相手取っての患者への補償を求める裁判は、いまなお係争中だ。そして、終わりの見えない裁判闘争と並行して、何人もの患者さんが亡くなっていく。
しかし同時に、患者さんとその家族が暮らす水俣は、喜び・笑いに溢れた世界でもある。豊かな海の恵みをもたらす水俣湾を中心に、幾重もの人生・物語がスクリーンの上を流れていく。そんな水俣の日々の営みを原は20年間、じっと記録してきた。
「水俣を忘れてはいけない」という想いで―壮大かつ長大なロマン『水俣曼荼羅』、原一男のあらたな代表作が生まれた。

2004年10月15日、最高裁判所、関西訴訟。「国・熊本県の責任を認める」判決が下った。この勝利をきっかけに、原告団と支援者たちの裁判闘争はふたたび、熱を帯びる。「末端神経ではない。有機水銀が大脳皮質神経細胞に損傷を与えることが、原因だ」これまでの常識を覆す、あらたな水俣病像論が提出される。わずかな補償金で早急な解決を狙う、県と国。本当の救済を目指すのか、目先の金で引き下がるのか。原告団に動揺が走る。そして……熊本県、国を相手取った戦いは、あらたな局面を迎えることになる。

ドキュメンタリーの遺志をつなぐ

今回原一男は被写体に選んだ、水俣という「場所」と、そこに流れる「時間」。それは日本ドキュメンタリー界の巨人・土本典昭が生涯をかけて記録してきた場所だった。スタッフと共に移住し、地元民と同じ魚を食べ酒を酌み交わす。そうやって水俣の人々と暮らしながら、土本は映画を連作し、世界的なドキュメンタリー作家となったのだ。
しかし、土本が『水俣 患者さんとその世界』(1971)で記録した反公害運動の熱狂はもう、そこにはない。水俣の人たちは一見、平穏な日々を営んでいるように見える。しかし水俣病によって、いまも苦しんでいるのだ。
そこにまなざしを向けることで原一男は本作で、土本典昭の遺志を継いで見せた。
『ゆきゆきて、神軍』の原一男は『水俣曼荼羅』で、鬼才から巨匠になった ―

水俣の映画、水俣の写真―
ユージン・スミスと桑原史成

ベトナム、韓国、ロシアなどをフィールドに活躍してきた報道写真家・桑原史成(1936~)。その代表作に、水俣を被写体にした連作がある。1962年、桑原が有楽町の富士フォトサロンで開かれた個展『水俣病―工場廃液と沿岸漁民』で発表した写真は、大きな衝撃をもって迎えられた。その桑原の導きもあって水俣にカメラを向けた写真家が、ユージン・スミス(1918~1978)だ。太平洋戦争中はサイパン、沖縄、硫黄島と転戦したユージンは、翌1971年に来日。三年間、水俣市に滞在。その成果が1973年、『水俣 生―その神聖と冒涜』として結実する。太平洋をまたいで二人の偉大な写真家が挑んだ、水俣の痛み、その先に見出した美しさ……同じその光景を、原一男も見つめていた。

【原一男監督コメント】

まだ、取材・撮影のために水俣に通っていたときのことだが、ある日、街角で「水俣病公式確認60周年記念」という行事のポスターを見て、私は唖然とした。この行事は、もちろん行政が主催するものだ。

今日に至るまで、水俣病の問題は決して解決していない。つまり、このポスターの意味は、行政には、解決する能力がない、あるいは解決する意思がない、ということを意味している。その行政が、何か、ご大層に、記念行事をするなんて変ではないか。変であることに気付かないところが、まさに正真正銘、“いびつ”で変なのであるが。 では、なぜ、そのような“いびつさ”が生じたのか? 結果としては、私(たち)は、15年かけて,その“いびつさ”を生むニッポン国と、水俣の風土を描くことになった。

私は、ドキュメンタリーを作ることの本義とは、「人間の感情を描くものである」と信じている。感情とは、喜怒哀楽、愛と憎しみであるが、感情を描くことで、それらの感情の中に私たちの自由を抑圧している体制のもつ非人間性や、権力側の非情さが露わになってくる。この作品において、私は極力、水俣病の患者である人たちや、その水俣病の解決のために戦っている人たちの感情のディティールを描くことに努めた。私自身が白黒をつけるという態度は極力避けたつもりだが、時に私が怒りをあらわにしたことがあるが、それは、まあ、愛嬌と思っていただきたい。

この作品で、何が困難だったかといえば、撮られる側の人たちが、必ずしも撮影することに全面的に協力して頂いたわけではないことだ。それは、マスコミに対する不信感が根強くあると思う。映画作りはマスコミの中には入らないと思っているが、取材される側は、そんなことはどうでも良いことだ。とは言え、撮られる側の人が心を開いてくれないと、訴求力のある映像は撮れない。撮る側は、撮られる側の人たちに心を開いて欲しい、といつも願っているが、撮られる側の人たちは、行政が真っ当に解決しようという姿勢がないが故に、水俣病問題の労苦と重圧に、日々の暮らしの中で戦わざるを得ないので、カメラを受け入れる余裕がない。苦しいからこそ、その実態を率直に語って欲しい、晒して欲しい、というのは撮る側の理屈だ。

完成作品は、6時間を超える超長尺になった。が、作品の中に入れたかったが、追求不足ゆえに割愛せざるを得ないエピソードがたくさんある。かろうじてシーンとして成立したものより、泣く泣く割愛したシーンの方が多いくらいなのだ。だが私たちは撮れた映像でしか構成の立てようがない。その撮れた映像だが、完成を待たずにあの世に旅立たれた人も、多い。

ともあれ、水俣病問題が意味するものは何か?
水俣病は、メチル水銀中毒である、と言われている。その水銀が、クジラやマグロの体内に取り込まれて今や地球全体を覆っているのだ。日本の小さな地方都市で発生した水俣病が、今や全世界の人間にとっての大きな問題になっている ― そのことの大きさを、強く強く訴えたいと思っています。

『水俣曼荼羅』(2020年/372分/DCP/16:9/日本/ドキュメンタリー)
監督:原一男
エグゼクティブ・プロデューサー:浪越宏治
プロデューサー:小林佐智子、原一男、長岡野亜、島野千尋
編集・構成:秦岳志
整音:小川武
助成:文化庁文化芸術振興費補助金 (映画創造活動支援事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会
製作・配給:疾走プロダクション
配給協力:風狂映画舎