日時
12月6日(金)公開
料金
一般¥2,000/シニア(60歳以上)¥1,300/ユース(19歳~22歳)¥1,100/アンダー18(16歳~18歳)¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800/障がい者割引¥1,000/UPLINK会員¥1,100(土日祝¥1,300)/UPLINKユース会員(22歳以下)いつでも¥1,000
12月6日(金)公開
一般¥2,000/シニア(60歳以上)¥1,300/ユース(19歳~22歳)¥1,100/アンダー18(16歳~18歳)¥1,000/ジュニア(15歳以下)¥800/障がい者割引¥1,000/UPLINK会員¥1,100(土日祝¥1,300)/UPLINKユース会員(22歳以下)いつでも¥1,000
誰もが知る伝説のロックバンド、ザ・ビートルズ。ビートルズがリヴァプール出身なのは周知の事実だが、生前ジョン・レノンは、「僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った」と語っていた。1960年のハンブルク初訪問の経緯から、1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットを経て、1966年の6回目の訪問までを、元メンバーと関係者の証言やアーカイブ映像と音声、アニメーションなどを使って、まるで昨日のことかのように生き生きと蘇らせる。
後のインタビューでジョンは「ハンブルクではステージで寝たり、食べたり、悪態をついたりして、全くの“自然体”だった」と話すが、その後、「キャヴァーン」でのファンクラブナイトに参加したファンは、「ビートルズは全身レザーで登場したが、ワンセットが終わったら、スーツに着替え、その後レザー姿は見なくなった」と転換期を目の前で目撃。
およそ6年に渡るビートルズの初期を、時系列で追体験するドキュメンタリーが、2024年、約60年の時を経て、完成した。
『ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』のロジャー・アプルトン監督の最新作が世界初公開。
1960年。若者に何か新しいものを提供したいと思っていたドイツ・ハンブルクのクラブオーナーたちは、水夫からイギリスではアメリカン・スタイルのロックンロールが演奏されていると聞き、アメリカより安く来られるイギリスからアーティストを招く。8月15日、ビートルズは、列車代や船代も出せず、ミニバスでハンブルクを初訪問。クラブで演奏するかと思いきや、ストリップクラブ「インドラ」で演奏することに。隣の映画館でベッドも照明も暖房もないところにユニオンジャックの旗を被って寝て過ごす。全員10代で、最年少のジョージ・ハリスンはわずか17歳で、世界最大の赤線地区の真ん中で演奏し、寝泊まりすることになる。ステージでは、人を引き付けるコツを徐々に学び、スタイルが確立。まさに、ハンブルクは学び場となった。
1962年4月、ハンブルクの「スター・クラブ」のオープニングに呼ばれたビートルズだが、初めて飛行機に乗ってハンブルクに行くと、空港で待っていたのは、スチュアート・サトクリフの恋人・アストリッドのみだった。元メンバーの死を知るメンバーたち。8月には、ドラマーのピート・ベストが外され、リンゴ・スターに変わる。11月と12月にハンブルクを再訪し、大晦日を最後に「スター・クラブ」での公演を終えると、11日後に発売された「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスで大ヒット。当時を知る者は口を揃えて言う。「ビートルズを作ったのはリヴァプールではない」と。
『NO ハンブルク NO ビートルズ』(2024年/イギリス/60分/カラー/1.85:1/5.1ch/英語)
監督:ロジャー・アプルトン
出演:ピート・ベスト、アラン・ウィリアムズ 他
配給:NEGA